山田五十鈴(やまだ・いすず)さんは、昭和を代表する女優で、1960年代以降は舞台女優として活動し、水谷八重子、杉村春子とともに「三大女優」とも言われていました。
数多くの映画賞なども受賞し、女優として高く評価されていた山田五十鈴さんですが、晩年はどういった過ごし方をされていたのでしょうか?
山田五十鈴の晩年は?
山田五十鈴さんは、1917年2月5日、大阪府大阪市南区千年町(現在の大阪市中央区東心斎橋)に生まれて、2012年7月9日に95歳で亡くなっています。
2012年の女性の平均寿命は86.41歳だったということで、平均よりも長くお元気で活躍されていたみたいですね。
1980年、63歳くらいのときに、自宅を引き払って、東京の帝国ホテルの一室で過ごしていたそうです。安全が保障されている上にお手伝いさんもいらないからという理由で暮らしていたそうです。
帝国ホテルの移り住んだあとも、ドラマ、映画、CM、舞台などに精力的に出演していました。女優としての功績が認められて、1993年には、文化功労者に、2000年(平成12年)に女優としては初めての文化勲章を受賞しています。
当初は、文化勲章の辞退も検討したそうですが、行進の女優のためにということで、受けることを決めたそうです。ちなみに、その後、文化勲章を受賞した女優さんには、森光子さん(2005年受賞)がいます。
2002年に脳梗塞を発症してしまい、倒れて入院してしまいました。その後は、公の場に姿を見せることなく、リハビリ生活などを送っていたそうです。右半身の麻痺などの後遺症もあり、次第に自力で歩くのも難しくなった結果、車椅子生活となってしまったそうです。
その後は、認知症なども発症してしまい、苦労もされていたようです。復帰を目指してリハビリをしていたようですが、残念ながら、復帰は叶わずに、最後の舞台は、脳梗塞の発症前に出演した2001年の『桜の園』となってしまいました。
闘病中には、市村正親さんや西郷輝彦さんなど、山田五十鈴さんを第二の母と慕う「養子会」のメンバーがお見舞いに来たりしてしたようです。亡くなる数ヶ月前には同メンバーの高嶋政伸さん、榎木孝明さん、松井誠さんら20人近くが訪問して、山田五十鈴さんの95歳の誕生日を祝ったそうです。
そして、2012年7月に多臓器不全によって都内の病院で亡くなりました。苦しむことなく眠るような最後だったそうです。戒名は「寳光院天猷?津大姉(ほうこういんてんゆうみょうしんだいし)」とのことです。
葬儀には、「養子会」のメンバーを中心に600人が参列したそうです。
山田五十鈴の遺産がすごい?
山田五十鈴さんは数多くの作品に出演していますし、遺産とかもすごかったのではないかなと思ったのですが、このあたりはあんまり情報がないようです。
晩年は帝国ホテルを自宅代わりに使用していたということで、経済的にかなり裕福であったのは間違いないと思いますが、そこまで莫大な遺産を残したという感じではないのかもしれませんね。
山田五十鈴さんは4度の結婚、離婚をしているそうです。子供は娘が一人います。娘は俳優月田一郎さんとの間にできた子供で、女優の瑳峨三智子さんです。
山田五十鈴さんは仕事を優先していて、娘の養育にはあまり関わらなかったということで、母娘関係はあんまり良くなかったみたいです。瑳峨三智子さんが女優となり十数年ぶりに山田五十鈴さんと共演したときには、「山田さん」と呼んで周囲が驚いていたようです。母娘でありながらよそよそしい関係だったみたいですね。
瑳峨三智子さんがよそよそしかったのは、親の七光りと思われるのが嫌だったというのもあったみたいです。
その後、瑳峨三智子さんは1991年57歳の若さで、クモ膜下出血で亡くなっています。瑳峨三智子さんは岡田真澄さんと婚約していたそうですが、その後、破棄されたということなので、結婚はされなかったようです。子供もいなかったみたいですね。
直系の血族はいなかったみたいなので、遺産は親族に渡ったという感じなのかもしれませんね。
山田五十鈴のお墓はどこにある?
山田五十鈴さんのお墓は京都の大徳寺というところにあるそうです。
一日遅れで山田五十鈴先生のお墓へお参り出来ました。JRは運休、高速高知道は土砂崩れで橋が流され通行止めゆえ、岡山までの高速バスは迂回運行で4時間弱。岡山から新幹線で京都へ。いつもながら感心する花市さんの墓花は色どりも良く、鋏を持たずともそのまま挿せば良いように切り揃えてあって親切。 pic.twitter.com/3qqUG3Q0V1
— 美馬勇作 (@50bell1917) July 10, 2018
京都市の大徳寺三玄院には、山田五十鈴さんの父と母、娘の瑳峨三智子さんが眠っていて、生前、このお墓に一緒に入ることを希望していたそうです。
山田五十鈴さんは女優として素晴らしい活躍をされた反面、私生活では20人以上の男性との噂になるなど奔放な生活をされていたと言われていて、波乱万丈な人生を歩んでいたみたいですね。
多くの役者仲間に見守られて天寿を全うされたということで、素晴らしい人生だったのではないでしょうか。
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